「石橋(しゃっきょう)」@甘楽花子〔京都・烏丸丸太町〕 [和菓子の京都]
甘楽花子(かんらくはなご)は、京都・烏丸丸太町交差点の南東角近くにある京菓子のお店です。
~ 地下鉄烏丸線の「丸太町」駅の3番出入口を出て直ぐです。
店内には8席ほどの喫茶スペースがあり、ショーケースに並んでいる生菓子から好みの生菓子を選び、抹茶または煎茶といっしょにいただくことができます(予約不要)。
さて、2017年5月16日(火曜日)の午前11時45分頃、花子さんで「石橋(しゃっきょう)」とお抹茶をいただきました。
ご主人の内藤さんが、あん炊き、生地作り、包餡などのすべての工程をお一人でこなされています。
~ 薄く伸ばした外郎で包んであるので、中の餡の色が透けて見えます。
☆ 甘楽花子(かんらくはなご)
(京都市中京区烏丸丸太町下る大倉町206オクムラビル1階)
☆ 2017年5月16日(火曜日)午前11時45分頃利用
~ 地下鉄烏丸線の「丸太町」駅の3番出入口を出て直ぐです。
店内には8席ほどの喫茶スペースがあり、ショーケースに並んでいる生菓子から好みの生菓子を選び、抹茶または煎茶といっしょにいただくことができます(予約不要)。
さて、2017年5月16日(火曜日)の午前11時45分頃、花子さんで「石橋(しゃっきょう)」とお抹茶をいただきました。
ご主人の内藤さんが、あん炊き、生地作り、包餡などのすべての工程をお一人でこなされています。
~ 薄く伸ばした外郎で包んであるので、中の餡の色が透けて見えます。
☆ 甘楽花子(かんらくはなご)
(京都市中京区烏丸丸太町下る大倉町206オクムラビル1階)
☆ 2017年5月16日(火曜日)午前11時45分頃利用
御洲濱司「植村義次」、360年続いた暖簾を下ろされました [和菓子の京都]
創業明暦3年(1657年)の御洲濱司「植村義次」が2016年末、360年続いた暖簾をひっそりと下ろされました。
~ 烏丸丸太町交差点南西角よりすこし西側にある御洲濱司「植村義次」、2017年3月3日撮影。
14代当主の植村義夫さんは「老の木登り 植村義夫」名で2016年末、
とツイートし、店頭のショーケースには廃業の告知が置かれています。
さて、御洲濱司「植村義次」は、「雅びの京菓子」(京都新聞社編)を参照すると、「京都でただ一軒、洲濱専門に作り続けている」お店でした。
では、「洲濱」とはどんな京菓子なのでしょうか。
「植村義次」の名物「洲濱」に同封されていた説明書などを参照すると、「洲濱」は浅く煎った大豆を粉にして水飴で練り上げた素朴なお菓子で、もともとは断面が「洲濱」模様の棹物だったそうです。
~ 御洲濱司「植村義次」の名物「洲濱」。
御洲濱司「植村義次」には名物「洲濱」の他に、初代当主より作り続けてきたという銘菓「春日乃豆」、14代当主が考案した「押物」がありました。
~ 「押物」(早蕨)。
「洲濱」については、江戸時代の図説百科事典「和漢三才図会」(寺島良安・編、1712年成立)の「餐(まめあめ)」の項に次の説明が載っています。
☆ 創業明暦3年(1657年)御洲濱司「植村義次」
(京都市中京区丸太町通烏丸西入ル常真横町193)
~ 烏丸丸太町交差点南西角よりすこし西側にある御洲濱司「植村義次」、2017年3月3日撮影。
14代当主の植村義夫さんは「老の木登り 植村義夫」名で2016年末、
「長い間フォローいただき支えて下さった皆様 心より御礼申し上げます 身がってですが隠居モードに入ります。新しい年のご多幸をお祈り申し上げます」
とツイートし、店頭のショーケースには廃業の告知が置かれています。
「(略)長らく皆々様にご愛顧いただきながらまことに心くるしいのですが、看板をおろすことにいたしました。私こと 心疾患で、医学の素晴らしいお陰を再度頂いていながら 人様のお口に入る晴れがましく有難く責任の深い仕事は重たく 寄る歳には勝てず、身勝手とお叱りを覚悟で決させていただいた次第です。(略)」
さて、御洲濱司「植村義次」は、「雅びの京菓子」(京都新聞社編)を参照すると、「京都でただ一軒、洲濱専門に作り続けている」お店でした。
では、「洲濱」とはどんな京菓子なのでしょうか。
「植村義次」の名物「洲濱」に同封されていた説明書などを参照すると、「洲濱」は浅く煎った大豆を粉にして水飴で練り上げた素朴なお菓子で、もともとは断面が「洲濱」模様の棹物だったそうです。
~ 御洲濱司「植村義次」の名物「洲濱」。
御洲濱司「植村義次」には名物「洲濱」の他に、初代当主より作り続けてきたという銘菓「春日乃豆」、14代当主が考案した「押物」がありました。
~ 「押物」(早蕨)。
「洲濱」については、江戸時代の図説百科事典「和漢三才図会」(寺島良安・編、1712年成立)の「餐(まめあめ)」の項に次の説明が載っています。
飴に豆をまぜたものを餐という、とある。その造法は、大豆〔炒ったもの〕を粉にし、湿飴(しるあめ)でこねて縄のような形にする。あるいは竹に挟んで縛り固めて、粼(すはま)の形のように切ったものを須波末(すはま)という。
☆ 創業明暦3年(1657年)御洲濱司「植村義次」
(京都市中京区丸太町通烏丸西入ル常真横町193)
薯蕷饅頭「京の蕪」と「初雪」(甘楽花子) [和菓子の京都]
薯蕷饅頭は、餡玉を薯蕷生地で包み蒸し上げたお菓子です。上用饅頭と呼ばれることもあります。
~ 「甘楽 花子(かんらく・はなご)」さんの薯蕷饅頭「京の蕪」、2015年12月1日撮影。
包む(包餡)、蒸すという京菓子の基本的な技術に加え、純白の生地に焼印、色使いなどによる意匠(飾り)は、京菓子職人の技とセンスの見せ所です。
薯蕷生地に使われる主な原材料は、やまのいも、砂糖、薯蕷粉(上用粉)です。薯蕷という言葉は普段あまり使うことがありませんが、薯も蕷もイモを表す漢字です。
薯蕷生地に使われるやまのいもは、やまのいも科やまのいも属山芋種やまといも群(つくね芋とも呼ばれる)に分類される、兵庫県北部の特産で表皮の黒い丹波芋、三重県多気町特産の表皮が白い伊勢いも、石川県能美市と小松市の特産で伊勢いもが起源の加賀丸いもなどです。
~ 三重県多気町の伊勢いも畑(畑の紅葉)、2015年10月7日撮影。
~ 伊勢いも、2015年10月16日撮影。
さて、2016年12月1日(木曜日)に「甘楽 花子」さんを利用しました。
~ 地下鉄「丸太町」駅の3番出入口からすぐです。
花子さんのご主人の内藤さんは、餡炊き(製餡)、つくね芋の皮むきからの薯蕷生地作り、蒸し上げ、飾り付け、呈茶などすべてをお一人で行っています。
薯蕷饅頭「初雪」をいただきました。
~ 蕎麦薯蕷の頂に白い普通の薯蕷生地が重ねられています。
菓銘を聞き(聴覚)、蕎麦薯蕷と薯蕷生地の色を見て(視覚)、土の上に積もった初雪という景色が浮かんできます。
~ 「甘楽 花子(かんらく・はなご)」さんの薯蕷饅頭「京の蕪」、2015年12月1日撮影。
包む(包餡)、蒸すという京菓子の基本的な技術に加え、純白の生地に焼印、色使いなどによる意匠(飾り)は、京菓子職人の技とセンスの見せ所です。
薯蕷生地に使われる主な原材料は、やまのいも、砂糖、薯蕷粉(上用粉)です。薯蕷という言葉は普段あまり使うことがありませんが、薯も蕷もイモを表す漢字です。
薯蕷生地に使われるやまのいもは、やまのいも科やまのいも属山芋種やまといも群(つくね芋とも呼ばれる)に分類される、兵庫県北部の特産で表皮の黒い丹波芋、三重県多気町特産の表皮が白い伊勢いも、石川県能美市と小松市の特産で伊勢いもが起源の加賀丸いもなどです。
~ 三重県多気町の伊勢いも畑(畑の紅葉)、2015年10月7日撮影。
~ 伊勢いも、2015年10月16日撮影。
さて、2016年12月1日(木曜日)に「甘楽 花子」さんを利用しました。
~ 地下鉄「丸太町」駅の3番出入口からすぐです。
花子さんのご主人の内藤さんは、餡炊き(製餡)、つくね芋の皮むきからの薯蕷生地作り、蒸し上げ、飾り付け、呈茶などすべてをお一人で行っています。
薯蕷饅頭「初雪」をいただきました。
~ 蕎麦薯蕷の頂に白い普通の薯蕷生地が重ねられています。
菓銘を聞き(聴覚)、蕎麦薯蕷と薯蕷生地の色を見て(視覚)、土の上に積もった初雪という景色が浮かんできます。
季節によって変身する「きんとん」〔甘楽 花子〕 [和菓子の京都]
芯となる餡玉にそぼろ状の餡を付けた「きんとん」(そぼろ餡きんとん)は、季節によって変身します。
虎屋文庫の中山圭子さんは著書「和菓子ものがたり」(朝日文庫)の中で、
~ 色の組み合わせで菓銘そして季節感が変わってしまうのですから、
まさにきんとんの七変化、変身の魔術です。 ~
と書いています(同書106ページより引用)。
そぼろの色使いと菓銘によって季節を表現する「きんとん」は、京菓子職人の技とセンスの見せ所です。
さて、2016年12月1日(木曜日)の午前11時40分頃に、「甘楽 花子(かんらくはなご)」を利用しました。
~ 地下鉄「丸太町」駅の3番出入口からすぐです。
花子さんは、茶席用菓子中心の京菓子屋です。
ケースに並んでいるお菓子見本の中から好みのお菓子を選び、お抹茶またはお煎茶とともに喫茶スペースでいただくことができます。
~ 菓銘「すかし紅葉」。
~ 菓銘「残りの錦」。
京菓子にとって季節感と菓銘、重要な要素です。
☆ 「甘楽 花子(からんらくはなご)」
(京都市中京区烏丸丸太町下ル大倉町206 オクムラビル 1階)
☆ 2016年12月1日(木曜日)午前11時40分頃利用
虎屋文庫の中山圭子さんは著書「和菓子ものがたり」(朝日文庫)の中で、
~ 色の組み合わせで菓銘そして季節感が変わってしまうのですから、
まさにきんとんの七変化、変身の魔術です。 ~
と書いています(同書106ページより引用)。
そぼろの色使いと菓銘によって季節を表現する「きんとん」は、京菓子職人の技とセンスの見せ所です。
さて、2016年12月1日(木曜日)の午前11時40分頃に、「甘楽 花子(かんらくはなご)」を利用しました。
~ 地下鉄「丸太町」駅の3番出入口からすぐです。
花子さんは、茶席用菓子中心の京菓子屋です。
ケースに並んでいるお菓子見本の中から好みのお菓子を選び、お抹茶またはお煎茶とともに喫茶スペースでいただくことができます。
~ 菓銘「すかし紅葉」。
~ 菓銘「残りの錦」。
京菓子にとって季節感と菓銘、重要な要素です。
☆ 「甘楽 花子(からんらくはなご)」
(京都市中京区烏丸丸太町下ル大倉町206 オクムラビル 1階)
☆ 2016年12月1日(木曜日)午前11時40分頃利用
北野天満宮献茶祭「菓匠会協賛席」〔御題菓展/2016年の菓題:冬めく〕 [和菓子の京都]
2016年12月1日(木曜日)の午前10時過ぎに、献茶祭が行われている京都・北野天満宮を訪ねました。
~ 北野天満宮の一の鳥居。
※今回掲載の写真はすべて2016年12月1日に撮ったものです。
~ 北野天満宮の楼門。
「菓匠会協賛席」(御題菓展=御題をテーマにした創作菓子展)は、毎年12月1日に北野天満宮で行われる献茶祭の協賛席として、 1953年(昭和28年)から毎年開かれています。
~ 菓匠会(現在19同人)は、江戸時代の上菓子屋仲間の有志により明治21年1月10日に結成されたそうです。
さて、「菓匠会協賛席」(御題菓展)が設けられているのは、楼門を抜けてすぐ左側にある絵馬所です。
2016年の菓題(御題)は「冬めく」。
それでは、菓匠会同人による創作菓子の一部をご観覧ください(順不同)。
~ 本家玉壽軒「寒の情景」。
~ 塩芳軒「冬の色」。
~ 亀廣保「すぐそこに」。
~ 亀末廣「京の冬けしき」。
~ 笹屋伊織「冬の使者」。
~ 嘯月「祇園坊」。
~ 長久堂「榾あかり」。
~ 北野天満宮の一の鳥居。
※今回掲載の写真はすべて2016年12月1日に撮ったものです。
~ 北野天満宮の楼門。
「菓匠会協賛席」(御題菓展=御題をテーマにした創作菓子展)は、毎年12月1日に北野天満宮で行われる献茶祭の協賛席として、 1953年(昭和28年)から毎年開かれています。
~ 菓匠会(現在19同人)は、江戸時代の上菓子屋仲間の有志により明治21年1月10日に結成されたそうです。
さて、「菓匠会協賛席」(御題菓展)が設けられているのは、楼門を抜けてすぐ左側にある絵馬所です。
2016年の菓題(御題)は「冬めく」。
それでは、菓匠会同人による創作菓子の一部をご観覧ください(順不同)。
~ 本家玉壽軒「寒の情景」。
~ 塩芳軒「冬の色」。
~ 亀廣保「すぐそこに」。
~ 亀末廣「京の冬けしき」。
~ 笹屋伊織「冬の使者」。
~ 嘯月「祇園坊」。
~ 長久堂「榾あかり」。
錦玉の京菓子 〔甘楽花子〕 [和菓子の京都]
寒天を煮溶かして砂糖を加え、煮詰めて固めたものが錦玉(きんぎょく)です。
清涼感がある錦玉、この時期に京菓子に使われることが多いようです。
~ 水車(みずぐるま)、水色に色付けた白あんを波包丁で切った錦玉で包んであります。
~ 水の彩(みずのあや)、三彩の餡玉をさいの目に切った錦玉で包んであります。
~ 夕立、こし餡を采の目に切った錦玉で包んであります。
和菓子の意匠―京だより
清涼感がある錦玉、この時期に京菓子に使われることが多いようです。
~ 水車(みずぐるま)、水色に色付けた白あんを波包丁で切った錦玉で包んであります。
~ 水の彩(みずのあや)、三彩の餡玉をさいの目に切った錦玉で包んであります。
~ 夕立、こし餡を采の目に切った錦玉で包んであります。
和菓子の意匠―京だより
八坂神社献茶祭「菓匠会協賛席」(2/2) 〔御題菓展/2016年の菓題:にぎわい〕 [和菓子の京都]
祇園祭の宵山7月16日(土曜日)に八坂神社献茶祭における
「菓匠会協賛席」(御題菓展=御題をテーマにした創作菓子展)の
出展作品を(1/2)に引き続きご覧ください。
~ 祇園祭の花「檜扇(ひおうぎ)」。
2016年の菓題(御題)は「にぎわい」です。
~ 先斗町駿河屋「しつらえ」。
~ 亀屋良長「宵山」。
~ 京華堂利保「六道さん」。
~ 亀屋清永「祇園さん」。
~ 二條若狭屋「縁日」。
~ 三條若狭屋「パレード」。
展示作品を観覧後、
呈茶席でお菓子と香煎茶でいっぷく。
~ 想い草。
~ 苔清水。
「菓匠会協賛席」(御題菓展=御題をテーマにした創作菓子展)の
出展作品を(1/2)に引き続きご覧ください。
♪ 八坂神社献茶祭「菓匠会協賛席」(1/2)はこちらです。 → こちら
~ 祇園祭の花「檜扇(ひおうぎ)」。
2016年の菓題(御題)は「にぎわい」です。
~ 先斗町駿河屋「しつらえ」。
~ 亀屋良長「宵山」。
~ 京華堂利保「六道さん」。
~ 亀屋清永「祇園さん」。
~ 二條若狭屋「縁日」。
~ 三條若狭屋「パレード」。
展示作品を観覧後、
呈茶席でお菓子と香煎茶でいっぷく。
~ 想い草。
~ 苔清水。
♪ 八坂神社献茶祭「菓匠会協賛席」(1/2)はこちらです。 → こちら
八坂神社献茶祭「菓匠会協賛席」(1/2) 〔御題菓展/2016年の菓題:にぎわい〕 [和菓子の京都]
祇園祭の宵山の2016年7月16日(土曜日)の午前10時頃、京都・八坂神社を訪ねました。
~ 八坂神社の西楼門、今回掲載の写真はすべて2016年7月16日に撮ったものです。
西楼門から入り境内を抜けて、「菓匠会協賛席」(御題菓展)が設けられている常磐新殿鳳凰の間へ向かいました。
「菓匠会協賛席」(御題菓展=御題をテーマにした創作菓子展)は、祇園祭の宵山7月16日に八坂神社で行われる献茶祭の協賛席として、 1953年(昭和28年)から毎年開かれているそうです。
~ 菓匠会(現在19同人)は、江戸時代の上菓子屋仲間の有志により明治21年1月10日に結成されたそうです。
さて、2016年の菓題(御題)は、「にぎわい」です。
それでは、菓匠会同人による創作菓子の一部をご観覧ください(順不同)。
~ 鶴屋吉信「幻想」。
~ 長久堂「リズムの輪廻」。
~ 亀末廣「宵山」。
~ 笹屋伊織「MATSURI」。
~ 亀廣保「初夏のさえずり」。
~ 八坂神社の西楼門、今回掲載の写真はすべて2016年7月16日に撮ったものです。
西楼門から入り境内を抜けて、「菓匠会協賛席」(御題菓展)が設けられている常磐新殿鳳凰の間へ向かいました。
「菓匠会協賛席」(御題菓展=御題をテーマにした創作菓子展)は、祇園祭の宵山7月16日に八坂神社で行われる献茶祭の協賛席として、 1953年(昭和28年)から毎年開かれているそうです。
~ 菓匠会(現在19同人)は、江戸時代の上菓子屋仲間の有志により明治21年1月10日に結成されたそうです。
さて、2016年の菓題(御題)は、「にぎわい」です。
それでは、菓匠会同人による創作菓子の一部をご観覧ください(順不同)。
~ 鶴屋吉信「幻想」。
~ 長久堂「リズムの輪廻」。
~ 亀末廣「宵山」。
~ 笹屋伊織「MATSURI」。
~ 亀廣保「初夏のさえずり」。
♪ 八坂神社献茶祭「菓匠会協賛席」(2/2)へ続く → こちら
八坂神社献茶会協賛「菓匠会御題菓展」、7月16日(土曜日)に開かれます。 [和菓子の京都]
祇園祭宵山の7月16日に毎年、
八坂神社において献茶会が開かれます。
~ 八坂神社西楼門、2015年7月16日撮影。
この八坂神社献茶会において、
江戸時代の上菓子屋仲間の流れをくむ菓匠会が
協賛席を設け御題菓展(御題をテーマにした創作菓子展)を開きます。
今年の「菓匠会 御題菓展」の開催概要は次の通りです。
・日時:2016年7月16日(土曜日)午前9時~午後3時
・場所:八坂神社常磐新殿「鳳凰の間」
・菓題:にぎわい
・備考:一般の方も観覧できます(要観覧料)
それでは、
2015年7月16日に行われた
八坂神社献茶会協賛「菓匠会 御題菓展」で撮った写真をご覧ください。
~ 2015年の課題(御題)は「京の川」でした。
~ 鶴屋吉信「清流」。
~ 鍵善良房「涼風」。
~ 菓匠会「御題菓展」の会場。
~ 本家玉壽軒「山川の瀬」。
~ 笹屋伊織「波しぶき」。
~ 嘯月「瀬音」。
~ 亀屋良永「清流」。
~ 亀屋清永「白川」。
~ 亀廣保「ほとり」。
※菓匠会の発足 (淡交別冊「京菓子-京の雅を楽しむ-」53ページより引用)
八坂神社において献茶会が開かれます。
~ 八坂神社西楼門、2015年7月16日撮影。
この八坂神社献茶会において、
江戸時代の上菓子屋仲間の流れをくむ菓匠会が
協賛席を設け御題菓展(御題をテーマにした創作菓子展)を開きます。
今年の「菓匠会 御題菓展」の開催概要は次の通りです。
・日時:2016年7月16日(土曜日)午前9時~午後3時
・場所:八坂神社常磐新殿「鳳凰の間」
・菓題:にぎわい
・備考:一般の方も観覧できます(要観覧料)
それでは、
2015年7月16日に行われた
八坂神社献茶会協賛「菓匠会 御題菓展」で撮った写真をご覧ください。
~ 2015年の課題(御題)は「京の川」でした。
~ 鶴屋吉信「清流」。
~ 鍵善良房「涼風」。
~ 菓匠会「御題菓展」の会場。
~ 本家玉壽軒「山川の瀬」。
~ 笹屋伊織「波しぶき」。
~ 嘯月「瀬音」。
~ 亀屋良永「清流」。
~ 亀屋清永「白川」。
~ 亀廣保「ほとり」。
※菓匠会の発足 (淡交別冊「京菓子-京の雅を楽しむ-」53ページより引用)
菓匠会は、明治21年1月10日、明治維新後初めて上菓子屋仲間の有志が相寄り、八坂有楽館で「御題菓展」を開催し、この仲間を菓匠会と名付けて今日に至っています。明治2年の東京への遷都は、京都における産業文化の地盤沈下という危機的状況を招来し、伝統の家業を守るために当時の上菓子屋仲間23軒を統合して結成されたのが菓匠会で、まさに京菓子復興の最初の灯となった組織であったといえます。